哲学カフェを10年以上主宰。元IT企業勤務。テクノロジーと哲学の交差点を探求。
堀内 聡介の記事 (11)
シニフィアンとシニフィエとは?言語の恣意性を解説
ソシュールの記号論は、音のかたちであるシニフィアンと概念であるシニフィエを分けて考えるところから出発します。哲学カフェで「湯」を英語に言いかえようとして、参加者と hot water しか出てこなかったことがありましたが、日本語で一語だったものが英語では二語になる、その切れ目の違いこそがこの考え方の入口です。
死とは何か 哲学の4つの答えとハイデガー
死とは、エピクロス、ハイデガー、ナーゲル、プラトンらの議論が重なり合って見える一方で、実際には「何をもって死とするか」「死は悪いのか」「有限な生をどう生きるか」という三つの問いに分かれる哲学の主題である。
クオリアとハードプロブレム 意識の「感じ」の謎
クオリアとは、赤の赤らしさや痛みの痛みらしさのように、経験そのものに伴う主観的な「感じ」を指す概念である。20世紀前半に哲学へ定着したこの語は、1995年に提唱され1996年に体系化された意識のハードプロブレムへとつながり、
悪とは何か?哲学の「悪の問題」と神義論
悪の問題とは、全能・全知・全善の神がいるのに、なぜこの世界に悪があるのかを問う古典的な哲学の論点です。哲学カフェで「悪とは何か」から始めると、議論が30分ほどで必ず「神がいるならなぜ悪があるのか」に流れ込み、概念定義と神の問題を分けないと話が止まることを、そこで身をもって知りました。
帰謬法とアナロジー|2つの推論法の仕組み
帰謬法とアナロジーは、推論の代表的な型でありながら、性質は見事に対照的です。帰謬法は「反対だと仮定したら矛盾する、だから正しい」と確かめる間接証明で、アナロジーは「似ているから同じはずだ」と未知へ手がかりを伸ばす発見的推論であるため、両者を並べると議論の見え方が一気に整理されます。
パノプティコンとは|ベンサムとフーコーの監視社会論
パノプティコンは、18世紀末にイギリスの功利主義者ジェレミ・ベンサムが構想した、一望監視施設としての監獄建築である。1791年に詳細が刊行され、中央の監視塔から放射状の独房を見渡せるこの仕組みは、ギリシャ語で「すべてを見る」に由来する名のとおり、
定言命法と仮言命法とは|カント道徳哲学の核心
定言命法は、カントが『道徳形而上学の基礎づけ』や『実践理性批判』で道徳の中心に据えた、無条件の命令である。仮言命法が「もしXしたいならYせよ」という条件付きの指示にとどまるのに対し、定言命法は「~せよ」と、目的に左右されずに行為を求めます。
愛とは何か|エロス・フィリア・アガペーの違い
『愛』は日本語では一語ですが、古代ギリシャ語ではエロス、フィリア、アガペー、そしてストルゲーに分けて捉えられてきました。哲学カフェを主宰していると、参加者から「恋人への愛と親友への愛は同じ愛なのか」と問われ、うまく言葉にできず詰まることがあります。その違いをほどく鍵は、古代ギリシャの語彙にありました。
美学とは?「美とは何か」を哲学から解説
美学とは、「美とは何か」と「なぜ人は美しいと感じるのか」を問う哲学の一分野であり、学問として確立したのは1750年と意外に新しい。だが、美をめぐる問いそのものは古代ギリシャから約2500年も続いてきたので、私たちが抱きがちな「美学は昔からある芸術論だ」という印象は、ここで少しほどけます。
三段論法とは?演繹・帰納との違い
三段論法とは、アリストテレスが古代ギリシャで体系化した、二つの前提から一つの結論を導く推論の型です。哲学カフェで参加者の主張を聞いていると、形はきれいに三段論法なのに、「その大前提は本当にいつも成り立つのか」で崩れる場面が驚くほど多く見られます。
論理的誤謬と詭弁の違い|代表14例と見抜き方
論理的誤謬は、もっともらしく見えるのに推論のどこかが飛んでいる考え方であり、詭弁はそれを意図的に使って相手を言いくるめる論法である。会議やSNSで「なんとなく言い負かされたのに、どこがおかしいのか言葉にできない」と感じるのは、その型に名前がないまま押し切られてしまうからだ。